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ねぎとろ丼

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神徳ファンタスティカ 3-1

   『神徳ファンタスティカ』

 昔、私と同じ背ぐらいの女の子とよく遊んだ気がする。名前は覚えていない。
 その子とどんなことを話し合ったかも覚えていない。でも遊んだということだけははっきり覚えている。
 何か大切にしていたと思われるものをもらった気がする。それが何だったか思い出せない。悔しい程に。
 一緒にご飯を食べたり、おはじきで遊んだ。神社の本殿でお昼寝だってした。それなのに彼女の顔や声、姿が思い出せない。
 その後も家の近くで見かけた気がするが、いつしか彼女の姿は見えなくなった。

   ※ ※ ※

「ただいまー」
「おかえり、遅かったねぇ」
「友達と本屋行ってまして……すみません」
「良いって、良いって」
「すぐにお風呂炊いて、夕食の用意しますね」
「はいはい」
 私は東風谷早苗。とある古ぼけた神社の巫女。お世辞にも大きな神社とは言えない、くたびれたところ。
 私は子供の頃から何かと不思議なことが出来てしまっていた。私は特別な素質を持っている人間らしい。
 特別な修行とやらをお母さんに強要させられた。一子相伝の秘術だとかいう、凄そうなものを教え込まれた。
 その修行というものは暗くて狭い、締め切った納屋みたいなところでやらされたものだ。
 よく肌で風を感じながらやりなさい、と注意されたものだ。
 締め切った状態で風を感じるというのも難しい気がするのだが、その中で体を動かして風の流れを自分で作れって感じ取れということらしい。
 また、ややこしいことにその秘術というものが本に書いているわけではなく、見よう見真似や口でしかやり方を説明できないものであった。
 わざと本に纏めたりせず、口伝のみにしてよそ者に漏れてしまうのを防いでいるとか。
 そして私がお母さんに認められる程秘術、奇跡を起こす術を使いこなせるようになったと認められると半ば強制的に巫女をやらされることになった。
 それが決まったのは確か、小学校も出ていないときだったと思う。
 その後もまた色々と辛い時期であった。私に神社を任せると、両親は私を置いてどこかへ消えてしまったのだ。
 ただ、それは前々からよく言われていることだった。
 子に秘術を全て教えきったら、昔から決められた山奥のとある集落で暮らすことになっているらしい。
 その集落で暮らしている人は皆うちの神社に関係する人ばかりだそうだ。
 私はそこへ行ったことがないので詳しいことはわからない。
 手紙でのみ両親と連絡を取り合うことは許されているのだが、会いに行くことだけは許されなかった。
 正月にのみうちで奉っている神様、八坂神奈子様へご挨拶するという名目で帰ってくるだけ。
 一週間に一度だけミヨコさんという、小さいころからよくお世話になっているお手伝いさんみたいなおばさんが家事や買出しを手伝ってくれるのだが、それ以外の掃除や神事を全て私一人でしなければならなかった。
 最初のうちは一人っきりというものが本当に怖かった。巫女なんて今すぐ辞めたいと何度も呟いた。
 別に泥棒に入られたら怖いとかではなく、私なんかで良いのだろうかという不安で一杯だったせいだ。
 その不安はすぐに無くなった。むしろ奇跡を起こし、信仰を得られたことで逆に自信がついたほど。
 奇跡の秘術を用いて災害から人々を守ると地元の人からまるでヒーローの様な扱いを受けたのだから。
 いつしか私は地元の人から「あらひとがみさん」と呼ばれるようになった。神様みたいな力を使える人間のことを言うそうだ。
 本当は神奈子様の力をお借りしたり、神奈子様にお願いして風に関する奇跡を起こしているだけなのだが、どうも町の人は私がやったと思い込んでいる。
 私は今中学生。最初の頃は神社の娘ということで変な目を向けられたし、いじめられたりもした。
 だがあるときを境にそういうのが無くなり、クラスメートから話しかけられることも増えた。
 一度いじめのことを神奈子様に相談してみたことがあったが、何かされたのだろうか。
 ただそれでも友達を作るのには苦労した。なんたって私は倶楽部に入っていないからだ。
 家に帰ってやらなければならないことが結構あるので、そんな暇は無かったり。
 今の巫女家業を続けられたら良いやと、将来の夢なんて特になかったりする。
 だからといって学校の勉強を疎かにするつもりはないが、大学のことは考えていなかった。
 正直なことを言えば神奈子様みたいな不思議が一杯の世界に飛び込んでみたいと妄想したりした。
 神奈子様がよく話してくれる、昔の日本みたいなところ。
 人間と動物だけでなく妖怪だとか妖精みたいな、化物の居る世界。
 実際行ってみないとどんなところかわからないだろう。おそらく想像しきれない世界が広がっている。
「あ、神奈子様。お風呂が沸きましたよ。お先にどうぞ、お洗濯と夕食の用意してきますから」
「じゃあお先に」
 神奈子様は神様といえども、人間と同じものを口にすることが出来る。というか、お腹を空かせたりする。
 ただ人間と違って飢え死ぬことはないとか。信仰さえ得られていれば永遠に生きながらえられる。
 いわば信仰そのものが食事みたいなものなのだろう。
 その割にはよくお酒を呑まれる。私が小さい頃は地元の熱心な信者達からお酒のお供えがたくさん来た。
 その度に神奈子様は大喜びで毎晩酒を呑まれていた。
 だが最近はその信者さんが高齢化していったり、亡くなられたせいかお酒をお供えしていかれる人が殆ど居なくなった。
 神社の運営費から捻出してお酒を買ってくることは出来たが、神奈子様はそこまでしなくて良いと仰られた。
 正直に言えば、この神社はもう先が無さそうに見えた。つまり、お金がないのだ。お酒を買ってあげたいが、買えないのだ。
 私の教育費と生活費は両親の仕送りで成り立っていると言っても良い。
 神事で頂戴するお布施は結局お祭りの準備やお守り、絵馬などの準備で殆ど消える。
 神社でこういう言い方をするのは気が引けるが、つまり儲けが少ないのだ。
 年々参拝客が減って行っているから、儲けは減る一方である。
 悲しいことに科学と文明が発達していく中で、神奈子様みたいな存在を忘れていく人ばかりが増えていく。
 それはクラスメートらにも言えることで、初詣こそ行くものの最近はお祭りに来てくれる人がどんどん減って行った。
 私ぐらいの若い人だけではない。大人の人でも来てくれる人は減って行ってる。単純に参拝客が来ないのだ。
 祭りに人が来てくれないとなると、露天を出したいと場所代を払っていく人が減る。露店が減ればそれを目当てに来る人も減る。
 悪循環だった。人が減っていく度神奈子様は目に見えて元気が無くなっていかれた。
 さっきも言ったように信仰そのものが神様の源。信仰、つまり神徳が減ればそれだけ神様は力を失う。
 神奈子様専属の巫女だから肌でわかる。今の神奈子様は私が小さかった頃より弱い。
 何らかの方法で信仰を増やすことが出来れば神奈子様に元気が戻り、前の強さを取り戻されるだろう。
 今でも台風を逸らしたりする奇跡は起こせるが、このまま弱っていけばどうなるかわからない。
 最近両親へ送る手紙の内容はそういう話ばかりしてしまっている。ただ相談してみたところで、両親の方でもどうしていいかわからないらしい。
 今定期的に行っている神事は毎月一度の祭りと夏の大きな祭り。そして初詣。お母さんの代からは葬式も執り行なうようにしてきた。
 私はまだ学校があるからお葬式まで手が回らないのでしていないが、中学を出たら高校には行かず神社のために全力を尽くすつもりである。
 神奈子様は高校とか大学とか行きたければ行っても良いと申されるが、とても頷けるような空気じゃない。
 いつも気丈に振舞う神奈子様だが、小さい頃に感じていた威厳というか、オーラが薄れた今の神奈子様を見ていてとても放っておけなくなる。
 おや? 視界がグラついた。突然頭痛と吐き気に襲われた。
 落としてしまった洗濯物を拾ったが、どうも気分が悪いらしい。今日は早く寝るようにすべきか。
 かといって寝る前に本殿の掃除をしておきたいし、明日燃えるゴミの日なのでゴミをまとめたい。
 やっておいた方が良い宿題もあるし、お守りの在庫が久しぶりに減ってきたからそろそろ用意しておきたい。
 やることが一杯あるから、休んでいられる暇なんてないのに。
「早苗!」
「あれ……神奈子様」
「大丈夫かい? 庭で洗濯物抱えて座ったまま動かないからどうしたものかと」
「べ、別になんでもないですよ。もうお風呂は済んだのだのですか?」
「顔色悪いよ! ちょっと休んでなさい!」
 神奈子様に抱えて頂き、居間まで運んで頂いた。私を横にさせると、神奈子様が洗濯物を片付けようとされる。
「そんな、家事なんて私に……」
「良いから! 夕食も後は私がやっておくからね!」
「ちょ、ちょっと待ってください。巫女が横になって、神様が家事をするなんて」
「良いから休んでなさい!」
 語気を強めて、そう仰った。怒られているように感じたが、どこかもどかしさも感じられた。
 結局ご飯が出来上がるまで私は半ば強制的に休まされた。
 そのときにはかなり気分が良くなっていたが、神奈子様はたいそう私を心配してくださった。
「ごめんね」
 いただきますをしようと、手を合わせようとしたとき神奈子様がそう呟かれた。
「え?」
「早苗にばっかり辛い思いさせて」
「そ、そんな! 突然どうしたんです?」
「あんただって気付いているだろう。もうこの神社は長くないって」
「そんなことないです! 中学を卒業したら、もっと神社のために働きます! だから何とかなりますよ!」
「前の、いやもう一個前の代ね。その頃からここ神社に足を運んでくる信者の数が目に見えて減っている、てのがわかったのは。それとも何百年も前からかもしれないね」
「……」
「あんたのお母さんも色々がんばってくれたさ。法事もするようになって、神社のためを思って尽くしてくれたよ。それでも信仰は減るばっかりで、もうどうしようも無いと思う」
「そんな、そんなこと言わないでください」
 ここまで弱そうに見えた神奈子様は初めてだった。いつもどっしりと構え、頼らせて頂きたくなる存在の神奈子様がとても小さく見える。
「最後まで聞いて欲しいんだ、早苗。あんたが生まれた頃からずっと悩んでいたことなんだ。幻想郷というところにこの神社を移そうと思う」
「じ、神社ごと? そんなことが出来るんですか? っていうか、幻想郷ってどこですか!?」
「あー、今説明するから、最後まで聞いてくれって」
「すみません」
「こほん。幻想郷というのは今の社会から忘れられていった者達が辿り着く場所さ。そこには大昔実際に居た妖怪、妖獣、八百万の神々、様々な幽霊、妖精、魔法使いなんかが居るって話」
「ま、まほーつかいですか」
「早苗が神社を続かせるためにがんばってるのも、この先がんばってくれるのもわかってる。でももう駄目なんだ。言い訳みたいに聞こえるかもしれないが、現代の人間達が私を信仰してくれないんだ」
「幻想郷に行けば神奈子様は助かるんですね?」
「ああ、きっと助かる。でもそこへ行くには、あんたにこの世界を捨て去る覚悟を持ってもらわないといけない」
「幻想郷って遠いんですか?」
「遠いも何も、別世界へ行くと考えなさい」
「でも、それで神奈子様が助かるのなら!」
「そうかい? あんたがいつも持ち歩いてる携帯電話が使いものにならなくなるよ。テレビだって一生観られなくなるよ。たまに買って帰って食べてる、ハンバーガーだって食べられなくなるねえ。ドーナツだとかいう美味しいものも向こうにはきっと売ってないよ。コンビニだって、スーパーも無いだろうね」
「……」
「いじわるするつもりは無いんだけどさ、よく考えて欲しいんだ」
「そんな、ここでは神奈子様の方が偉いんですよ。私の意見なんて無視しちゃってくださいよ」
「うん? あんまりこっちの世界に未練がないのかい? 学校の友達と一生会えなくなるよ。この前話してた彼氏クンともね」
「あの人なら振りました。あと……そんな不思議が一杯の世界に行ってみたいです。もう戻れなくっても良いです」
「じゃあこうしよう。一ヶ月待とう。一ヶ月後返事を聞かせてくれないかな? 一生を別世界で過ごすことになるから、絶対に後悔して欲しくないんだ。そりゃあ普通は神の意思優先で、仕えてる巫女の意見なんて無視するものかもしれないけどね、私はそういうのが嫌いなんだよ。だから早苗にも納得してもらって、幻想郷へ旅立てる様にしたいんだ」
「神奈子様……」
 神奈子様は随分と私の気持ちを尊重してくださったが、私はもう幻想郷という新天地への憧れで胸が一杯だった。
 妖怪だって? そんなもの漫画や、小学校の図書館に置いていた図鑑でしか見たことが無い。
 そんなものが生きて、世間を闊歩しているんだろう。妖怪は人を食ったりすると本で知った。
 私でも襲われたらひとたまりも無いだろう。でも私には奇跡の秘術がある。きっと妖怪なんてイチコロよ。
「早苗?」
「なんでしょう!」
「随分と嬉しそうな顔をしているね。幻想郷はね、早苗が思っているよりずうっと過酷な環境かもしれないのに」
「何を仰います、別に嬉しくなんてないですよ」
 一ヶ月? 一ヶ月も待ってもらう必要はない。今すぐにでも今居る世界とオサラバしたい。
 だってこの世界から出たら宿題だってする必要ないし、不思議が一杯の世界だというのなら神奈子様の信仰だってすぐに集まるはず。
 そうなれば神社は潤って、神奈子様は毎日お酒を呑めるようになる。神奈子様が幸せになるのなら、それでいい。
 母はこの仕事を熱心にやっていたと思うが、母自身巫女家業は好きではなかったらしい。
 でも私は違った。小さい頃から巫女という職業に憧れたし、今でもその気持ちは変わらない。
 当然苦しいことだってあったし、巫女を辞めたいと思ったことだって何度もある。でも本当に投げ出したことは一度もない。
 いつだって困難を乗り越えてきた。それは一重に神奈子様の巫女という仕事が大好きだからだ。
 神奈子様は格好良い。本当に素敵な人、いや神様だ。もっと単純な話をすれば私は神奈子様を愛しているのだろう。
 そりゃあもう母親みたいなものだと感じている。巫女ごときが神様を母親だと思うのは失礼に当たるのかもしれないが、私にとっては大切な家族みたいなもの。
 そんな神奈子様に仕えさせて頂けるのであれば、私は火の中水の中、地獄の果てであろうともついていく覚悟が出来ている。
 それなのに神奈子様と来たら、妙な脅しをかけて私をのけ者にしようとしている。わけがわからない。
 今まで一緒にがんばってきたのに。ご奉仕してきたのに。まるで私を仲間外れにしようとされているみたいだ。
「ご馳走様。遅くまで起きてちゃ駄目よ、もっと体を大事になさい」
「ご馳走様でした。私はお守りの仕込みがありますので……お先にお休みください」
 確かに私は無理をしているのかもしれない。でもそんなもの神奈子様に比べれば何とでもないと思う。
 神奈子様はいわば衰弱して行っているようなもの。私とは比べ物にならないぐらい、深刻な事態に陥っているのだろう。
 私はもう宿題なんてものに縛られる気はない。気持ちは完全に幻想郷へ出向いている。
 明日の朝になれば心は決まっている、と神奈子様を押して私の返事を聞いてもらおう。
 そうと決まれば明日にでも幻想郷へ行きたい。今の内にこの世界で食べられるお菓子を堪能しておこう。
 私は買い溜めしておいたお菓子を片っ端からつまんで行った。
 何が彼氏クンと会えなくなる、だ。あの人は私に「巫女さんって格好良いね」なんて言っておきながら三つ股もしていた最低な人だった。
 クラスの皆とは少しずつ打ち解けてきたが、やっぱり皆どこか余所余所しい。
 結局何が言いたいかというと、私は寂しいのだと思う。
 学校に行っているよりも、家に帰って神奈子様との時間を過ごしたい。
 今の友達に未練なんてない。強いて言えば、小さい頃に出会った、あの、名前と顔の出てこない子。あの子ともう一度会いたいとは思う。
 でももう会える可能性は無いだろう。きっとあの子もどこかへ行ってわからなくなっている。
 だから今いる世界に思い残すことなんて無い。むしろ新しい世界で、新しい早苗として生きてみたいと思う程。
 新しい世界に旅立つのなら、向こうの世界で信者を作るためにも丹精したお守りを用意しておかなければ。
 地元の手芸用品店に特注で作ってもらった生地を切り、守矢神社のお守りを手縫いで作っていく。お願い事を書いた紙を包み、紐を結んで完成。
 大きな神社や人気のお寺なら機械で袋だけ作り、後で願い事の紙を入れたりすると聞いたことがあるのだが、うちではそんなお金がないから代々巫女がそれを用意してきた。
 だから今私もこうして慣れない手で一生懸命こしらえているのである。
 ちなみに一週間に一度だけ来てくれるミヨコさんは、私なんかよりもずっとお守りを作るのが上手だったりする。
 そうか、旅立つとなるとミヨコさんも来なくなるのか。
 そうなるとここの神社は私のよれよれなお守りばかり売ることになるのだが。
「……?」
 後ろから誰かの気配を感じた。神奈子様かと思ったのだが、誰も居ない。
 気のせいだろうか、部屋の襖が少しだけ開いている。きちんと閉めたはずなのに。
 もうすぐで日付が変わる。私は宿題もせずお守り作りに勤しんだ。学校にだってもう行くつもりはない。
 そういえば明日はミヨコさんが来てくれる日だ。ついでにご挨拶しておこう。
 きっと驚くだろう。でもここにおわす神様がピンチだということを話せばきっとわかってくれる。
 両親にも手紙を出しておこう。幻想へと旅立ちます、と。
 幻想かぁ。何を寝ぼけたことを、とバカにされるような気もしてきた。字面で見れば胡散臭いかもしれない。
 でもお母さんの代よりもっと前から神奈子様の信仰が危ないとなれば、お母さんは他所へ行くかもしれないということを予想しているのかもしれない。
 手紙を出してみれば「あ、やっぱり」と返ってきたりして。
 もうそろそろ眠ろう。考え事がまとまらないぐらい眠くなってきた。
 寝る直前に戸締りだけ確認してから、布団に潜り込んだ。

   ※ ※ ※

「早苗」
「……」
「早苗ってば」
「んー」
「学校に行く時間だよ」
「あ! おはようございます! 布団の中からのご挨拶、失礼します!」
「おはよう。学校だよ」
「何言ってるんですか、私はもう幻想郷に旅立つ気まんまんです。学校なんて行く気ありません」
「あんたねぇ……」
 朝らしい。学校をサボるつもりだと思っていたから、寝坊してしまった。
「あ、朝食ですか神奈子様! 今起きてご用意致しますね!」
「あのねぇ早苗。あんたが決意してくれたのは嬉しいけど、だからって今すぐ行けるわけじゃないのよ。こっちとしても準備ってものが……」
「私に何か手伝えることはありませんか?」
「ないね。といっても、急げば明日には飛び発てるけどね」
「じゃあそうしましょう! 朝ごはん食べたら家事済ませて、ミヨコさんが来たら明日から神社ごと引っ越しますって話して、買い込んでおけるもの買っておきます!」
「そうね、そうして頂戴」
 昨日はしつこく「本当にそれで良いの?」とか嫌味っぽい言い方をされていた神奈子様だが、今日は素直に信じてもらえた。
 学校には電話で熱が出たと嘘をついて、休ませてもらった。
 急いで着替えを済ませて朝食作り。学校の制服ではなく、私服に着替え。
 朝食が終わった後携帯電話にメールが届いていたことに気付く。
 クラスメートからのものだった。「今日どうしたの?」と。私は携帯の電源を切り、自分の机の奥にでも突っ込んでおいた。
 境内の掃除をしているとミヨコさんが到着。
 いつもは私が学校へ言っている間にやって欲しいことを書いたメモを置いておき、それをミヨコさんが見て片付けるものをやってもらってる。
 今日は私が学校をサボっているため、朝からミヨコさんを拝むことが出来た。
 ちなみにミヨコさんは近所に住んでいる、昔から付き合いの長い信者さん。歳は五十前半。
 ご主人がずっと前に病気で亡くなってから、一人で暮らしているとか。子供が居たそうだが、今は他府県へ行ってしまわれた。
 毎週木曜日の朝に来て私が帰ってくる夕方までの間、雑用なんかをやってもらっている。
 ミヨコさんはこの神社に対して強い信仰を持ってくださっているようで、普通の人では神様の姿なんて見ることすら出来ないのだが、この人は「そこに居られる」という気配ならわかるそうだ。
「おはようございます!」
「あら? 早苗ちゃん学校じゃ?」
「あ、ちょっとそのことでお話が」
 ミヨコさんを居間までお連れした。居間では神奈子様がテレビの観光番組を観ていらっしゃる最中。
 神奈子様にミヨコさんを連れてきましたと報告すると、テレビを消して嬉しそうな顔でこちらを振り向かれた。
 ミヨコさんはというと額を床に擦りつけんばかりに、頭を下げている。
 神奈子様が「良いから、入ってもらって」と申されると私が誘うまでもなく食卓へついた。
「八坂様、ミヨコです。お邪魔します」
「ええ、お元気そうで何よりね」
 台所へ戻ってお茶を淹れ、食卓へ戻る。ミヨコさんも神奈子様もにこやかな表情をされていた。
「それで早苗ちゃん、話って?」
「あ、はい。神奈子様の存在が危ういということで、神社ごと別世界へ旅立つことになりました」
「あれまあ!」
 ミヨコさんは心底驚かれた様子。それもそうか。神社ごと他所へ移すなんて普通考えもしない。
「存在が危ういって……この神社は代々修行した、奇跡の起こせる巫女が神様にお仕えしている、由緒正しい神社じゃないの!」
「ミヨコさん、お気持ちはわかります。私も昨日神奈子様に聞かされたばかりで、今でも信じられません」
「どうにもならないの?」
「ならないんです。信仰が足りず、このままではうちの神様が居なくなってしまうんです」
「そんな! 私なんか毎日拝みに来ているのに……それだけでは駄目ってことなのね」
「……」
「主人に先逝かれて寂しかったけど、そのとき早苗ちゃんのお母さんから声をかけてもらってすごく嬉しかった。それから今日まで守矢神社に参拝させて頂いて、毎日の支えになっていたというのに」
「すみません。本当に急な話で申し訳ないのですが、神奈子様の意向ですので」
 神奈子様が面食らった顔でこちらを振り向かれた。嘘は言っていないつもりだ。
「八坂様が……それなら、もうそうするしかないんですねぇ」
「私の力が足らないばかりに、こんなことになって申し訳ありません」
「その、信仰が足らないっていうのはいつから?」
「ずっと前からだそうですよ」
「それなら早苗ちゃんのせいじゃない。悪いのはたぶん、私らの信心が足らないせいだよ」
「ミヨコさん……」
 ミヨコさんはまた頭を下げた。ミヨコさんは悪くないのに。あえて言うならこの町の人皆。現代人が神奈子様のことを信じなくなったことだろう。
「ミヨコさん、私はこれから買い溜めしておけるようなものを買いに行こうと思ってるんです。手伝ってもらえませんか?」
「何言ってるんだい、今更改まってお願いされるようなことじゃないでしょ。車出してくるから、神社の前で待ってて!」
「ありがとうございます!」
「八坂様、あなた様の早苗ちゃんを借りていきます。お邪魔しました」
「ええ、お買い物お願いね」
 神奈子様の言葉はミヨコさんには届いていないのだろう。でもミヨコさんに気持ちは伝わっていると思う。
 ミヨコさんは少し悲しそうな顔をして出て行った。
「早苗、私が急かしてるみたいな言い方を装ったわね」
「間違ってはないと思いますよ?」
「私の名前を利用するなんて、良い度胸してるじゃないか」
「あ、いえ、その、ごめんなさい」
「わかればよろしい。まあ、買い物お願いね。私は本殿に篭もって神社移転の準備をするわ」
「はい! 行って来ます! あ、あの……」
「うん?」
「その、幻想郷でお金って使えるんでしょうか?」
「さあね。まあそんなものは向こうに着いてから考えれば良いのよ。全部使いきるつもりで良いんじゃない。ああ、酒はたんまり買ってきてね。向こうに着いてから宴会を開くだろうからね」
「はーい」
 買い溜めしておきたいものは日用品とか、タオル、下着、お菓子。ああ、あとお酒。食料は日持ちしないだろうから、買っても意味がないだろう。
 インスタント食品や冷凍食品もだ。神奈子様の話では電気が通っていないらしいし。
 あと神奈子様曰く、商品を包装しているビニール袋なんかは捨てておいた方がいいらしい。
 というのも、ゴミ処理場がないからだそうだ。なる程、そういう施設がないのなら確かに現代のゴミは持ち込まない様にすべきだ。
 ホームセンターで必要そうなものを買い漁った。買い溜めると言っても正直どれぐらい買えば良いかわからなかったりする。
 だからとりあえず車の後部座席とトランクが埋まるぐらい買い溜めておいた。
 お昼前には神社に戻り、本殿で準備なさっている神奈子様に声をかけて昼食を取って頂いた。
 本来は偉い神様が先に食事を取られる。ミヨコさんが来ているときや、神事のときにはいつもそうしてきた。
 神奈子様曰く「堅苦しいのが嫌」だそうで、普段私はご一緒に食事させて頂いているが。
 両親とも会えなくなる。だが悲しいという気持ちよりも、新しいものへの関心が強かった。
 車の荷物を全て降ろし、今度はお酒を仕入れる仕事。酒屋に電話して車に積めるだけの日本酒を注文した。
 何十万とお金がかかったが、神奈子様の仰る通り有り金をはたいた。
「それにしても、別世界だって? 疑っているわけじゃないけど、信じられないわぁ」
 帰りの車の中。信号待ちのとき話を振られた。
「まあ、戸惑うのもわかります。正直私も信じ切れていません。でも、神奈子様のためです。私は神奈子様についていきます」
「早苗ちゃん、偉い! 昔と随分変わったね、強くなったよ」
「そうですか? よくわかりません」
「いやいや、守矢神社の巫女らしい立派な目してるよ。向こうに行っても胸張ってやりなさい!」
「あ、ありがとうございます。私はまだお母さんより全然立派じゃないと思いますけど、がんばります!」
「うん、うん!」
 ミヨコさんは笑顔だった。笑顔で私を送り出そうとしてくれているのだろうか。
 神社に戻ったとき、時間はもう夜。ミヨコさんとはとうとうお別れ。ミヨコさんはぺこぺこ頭を下げて何度もありがとう、と言った。
 見送りのとき神奈子様が傍に居られたのだが、ミヨコさんは私の横を見て深くお辞儀し、ここを後にする。
「神奈子様、まだ時間はありますか? 両親に手紙を出しておくのをすっかり忘れてしまいまして……」
「ああ、大丈夫よ。出してくるだけならね。移転が出来るのはたぶん日付が変わって数時間した、真夜中になりそうだねぇ」
「あー……今から書くのですが」
 時計が示す時間は七時半過ぎ。まあポストに投函さえ出来れば良いと思っているので、間に合うだろう。
「良いわ、書いてきなさい。夕食は手紙書き終わってからでいいから」
「すみません、急ぎますから」
「何言ってんだい、あんたの両親に出す最後の手紙になるんだよ。じっくり考えて書きなさい」
 神奈子様の言葉に甘えた私が手紙を出して、また神社に戻ってきたときには十時を過ぎていた。
 慌ててお風呂と夕食を用意し、神奈子様のお背中をお流しした。
 今日の晩御飯は残りものの食材を適当に使ったありあわせのもので、質素なものになった。
 どうせならハンバーガーやピザでも食べようかと思ってはいたが、時間が遅いのでどうしようもない。
 食事を終えて食器を洗う。神奈子様はテレビを眺めておられる。
 テレビの見納めでもしようか。でも木曜は正直おもしろいと感じる番組がなかったりする。
 神奈子様は録画していた観光番組を観ていた。今やっているのは信貴山にあるという、朝護孫子寺というお寺の話。
「早苗、歯磨いたの?」
「いえ、まだこれからですが」
「そう」
 神奈子様はテレビを消すと立ち上がり、本殿の方を向かれた。
「私は最後の締めくくりに入るけど、あんたはいつも通り寝てなさい。良いわね」
「あの、私に手伝えることはありませんか?」
「ないね。あんたの使う秘術とは全然別の方向の術だし」
「で、でも巫女の私が暖かい布団で寝て、神奈子様だけでお勤めをするというのも悪い気が……」
「良いから、良いから」
「わかりました。では神奈子様、後お願いします。お先に休ませて頂きます」
「ええ、おやすみ。朝になれば幻想郷に着いてるだろうさ」
 本殿へ向かう神奈子様の背中に深く頭を下げた。頭を上げたときにはもう見えなくなっていたので、自室へ戻った。
 この世に生まれてからのことを思い返し、感傷に浸ってみる。
 神社の子として生まれてきたこと。お母さんのこと、お父さんのこと。小さい頃よく一緒に遊んだあの子。
 小学校のときの友達。中学に上がってからは正直楽しくなかった。小学校のときはそんなこと無かったのに。
 私は生まれたときから素質を持って生まれたらしかったから、神奈子様のお姿が見えなかったことはない。
 お母さんから「神様は本当にいるのよ」と教わってるし、神様の存在を疑ったことなど一度もない。
 だっていつも私の傍にいらっしゃるのだから。
 お母さんから何も教わっていないのに、風を起こす術が使えたときは驚いたのだが、そのそき神奈子様は大笑いしていらした。
 お母さんから「お仕えさせて頂いている神様を怒らせるようなことはしないように」と教わってから食事をご一緒させて頂いたとき、私は誤ってお茶を零して神奈子様にかけてしまったときがあった。そのときのお母さんときたらそれはもう鬼子母神の如き怖い形相で私を叱った。でも神奈子様は「良い、良い」と笑って見過ごしてくださった。
 中学のとき虐められ、逃げるように神社へ帰ったとき神奈子様は何も言わず私を抱いてくださった。
 神奈子様は本当に素晴らしい神様だ。真に尊いお方だ。この神社で生まれて良かったと、心の奥底から思う。
 一緒に過ごして頂いた時間が両親よりも多いせいか、両親よりも神奈子様の方が自分の親に相応しい気がするときがある。
 そんな神奈子様と新世界へ旅に出る。不安などあるはずがない。
 あのお方の傍に居させて頂ければ私はそれだけで良い。他には何もいらない。
 そのはずなのに、やはり胸にひっかかるものがある。いや、あの子のことは忘れなければいけない。
 蛇の飾りと蛙の髪飾りを机に置いて電気を消し、布団に入ろう。枕元の目覚まし時計にスイッチを入れる必要はない。
 神奈子様は今神社を移転するための術を使っていらっしゃるときだと思う。
 だが何の音も振動も感じない。暗闇に薄っすらと見える天井にも何の変化も無かった。
 自然と目蓋が重たくなっている。色々な記憶、目で見てきたものがぐちゃぐちゃに混ざって脳に飛び込んできた。
 もう寝よう。さようなら、今居る世界。こんにちは、新世界。幻想郷というところに期待を抱いて眠ろう。

   ※ ※ ※

 朝。天井が明るい。カーテンの隙間から陽の光が差し込んでいた。
 目覚まし時計が示す時間は八時過ぎ。一応機械が動いてはくれる世界らしい。
 少しずつ頭が冴えてくるのだが、まず気付いたことがある。音だ。
 普段なら車やバイクの音が遠くから聞こえたりするのだが、全くそんな気配を感じない。
 逆に聞こえてくるのは鳥の鳴き声。聞いたことのない、綺麗な声のする鳥のさえずりがすごく心地良い。
 本当に幻想郷へ着いたのだろうか。もう興奮で胸が一杯。
 カーテンを開けた。目に飛び込んできたのは、溢れんばかりの大自然。
 どうやらここは高い所にあるらしい。下の方は木で一杯。遠くに集落の様なものが見える。
 そのまた遠くには紅い鳥居が見えた。もしかしてここには別の神社があるのだろうか。
 今、妙に速いものが動いた気がした。と思ったとき、肩に手が置かれた。気配でわかる。神奈子様だ。
「着いたよ、ここが幻想郷だ」
「神奈子様! おはようございます!」
「ああ、おはよう。随分と元気そうだね。あの飛んでるのが見えるかい?」
「な、何となく……」
「見えるのかい! さすが風祝の巫女だね! あれは天狗だよ!」
「て、天狗!? あの、鼻の長い奴ですか?」
「そうさ、本物だよ。すごいだろう? 昔の日本のことを考えれば当たり前の光景だけどね」
「もしかして……本当に神社ごと飛んできたんですか!?」
「まさか、私の腕前を知らないわけないだろう? こんなもの、朝飯前さ」
「そうでした! とりあえず朝食にしましょう!」
 勢いでそう言ってはみたものの、何を作ればいいのか。
 冷蔵庫は動いていなかった。というのも、電気が来ていないからだろう。本当に別世界へ来てしまったんだ。
 私はとりあえずスティック状の乾パンみたいな栄養食品を食卓にお出しした。
「……他には何もないのかい?」
「昨日食べたので最後です。カップ麺は買っていませんし、冷蔵庫使えなくなるのならお野菜も腐ると思って買っていません」
「良いけどさ。あんたがいつも食べてるのを見てるから、食べられるものなんだろうね。でもね、出来れば野菜や肉、魚が良いんだ」
「そうなんですか?」
「何だって良いってものじゃないのよ。神は自然と生きている。だから自然にあるものを取り入れるのが一番良いんだ」
「なるほど。でも今食べられるものってこれとお菓子、おつまみぐらいしかありませんよ」
「食べないとは言ってない」
 今ここでようやく気付いたことがある。お茶をどうやって焚けばいいのか。
 しまったな、ホームセンターで焚き火のセットなんかを買っておけば良かった。
 電気が来ていないところなんだから、ガスも無いってすぐにわかることじゃないか。
 冷蔵庫で冷やしておいた麦茶が残っているのでとりあえずそれをお出ししたが、これが無くなったときのことを考えなければ。
 言うまでもなく、お茶はぬるくなっていた。
「そこのキッチン、完全に役立たずだね」
「そ、そうですね」
「大工でも呼んで改造してもらうしかないね。それは私が考えとくよ」
 栄養調整食品をお茶で流し込んで食欲を誤魔化した。
「ああ、そうだ。井戸もいるねぇ」
「い、井戸ですか?」
「当たり前だろう? 蛇口を捻って水が出るわけない」
「……あ! そ、そうですね」
 不便だ。でもここで生活していれば、慣れてくるに違いない。
 それに早速収穫があったんだ。天狗が居るという事実。
「着替えてきなさい。挨拶しに行くわよ」
「あ、挨拶? ああ、下に見えた町みたいな所へですか?」
「何言ってんだい、ここに住まう神様達へだよ」
「え? 神奈子様以外の神様が幻想郷に居るのですか?」
「感じないのかい? そりゃあもう、山ほど居るのが感じられるよ」
 そういえば私は神奈子様以外の神様を知らない。神奈子様以外の神様って、どんな感じなのだろう。
 言われてみれば高貴な気配をたくさん感じるが、それが神様達の気配なのだろうか。
 とりあえず外に出よう。そうすればきっとわかるはず。神奈子様がついているからきっと大丈夫。
「何やってるんだい? そんな服、捨てちゃいなよ」
「え?」
「巫女衣装にしときなさい。前居た世界じゃ変な目で見られるかもしれないけど、たぶんこっちの世界じゃ皆そう思わないよ。むしろ私の巫女であることを主張しなさい」
「は、はい!」
 蛇と蛙の髪飾りをつける。袴を締めて上を羽織る。お払い等に使う御幣を持っていけと言われた。
 どうやらこれからはこれを媒体に術を使うと良いらしい。
 よくわからないが、武器のようなものを持って行った方が信仰を広めるのに都合が良いそうだ。
 ちなみに今着ている巫女衣装は儀式をするときにしか着てこなかった。
 これからは極力これで活動した方が良いそうなので、この服に慣れておかなければ。
 外に出る。木々の葉は緑の原色。照りつける日差しが少し暑く感じる。今の季節は夏手前なのだろうか。
 神奈子様も外に。草履を履かれて、準備運動のようなものをされている。
「どうしたんですか?」
「どうやらこの土地の者達は神様への信仰が強いみたいでね。私の力が少しだけ戻ったような気がするのよ」
「もうですか! 私、神奈子様が元気になるよう、頑張ります!」
「そのためにも他の神様達へ挨拶しないとね」
 神奈子様はちょっとお待ち、と仰って境内に立てていた御柱を一本引き抜かれた。
 引き抜く? あれは深く掘り、土を押し固めて根っこを埋めたものだと聞いたのだが、あんなもの引き抜けるのか?
「全盛期の私ならこんなもの、何十本でも担げるさ。でも力がまだまだ戻っていないね、一本しか持てなさそうだ」
「……」
「行くよ、早苗。ついてきなさい」
「は、はい!」
 御柱なんてもの、一体なぜ持っていかれるのだろう。平然とした感じで肩に担いでおられる。
「あの、そんなもの何に使うんですか?」
「何って、妖怪退治に決まってるじゃないか。何か得物がないといざというとき困るからねぇ」
「は、はぁ」
 そういえば妖怪は人を食うとかって聞いたか。本物の妖怪が居るのなら、確かに自衛する手段として武器は必要かもしれない。
 あんな重たそうな、かつ長くて頑丈なもので殴られれば一たまりもなさそうだ。
 と、その前に神奈子様が特訓をしようと仰った。
 なんでも空を飛ぶ術とやらの特訓だそうだ。そんなことが出来るのだろうか?
 少なくともお母さんは空なんて飛べなかったのに。
「さっき天狗が飛んでるのを見ただろう? それに空でも飛べないと、移動に時間がかかって仕方がない」
「神奈子様は飛べるんですか?」
「飛べるに決まってるさ」
 そう仰って、ふわりと浮かんだ。ついさっきまでやっていたみたいに、あっさりと。
「ほら、早苗も飛んでみなよ」
 神奈子様に促されるがまま特訓が始まる。が、特訓というほどのものにならずにものの数分で宙に浮かぶことには成功した。
「すごいじゃないか! もう大丈夫だね!」
 そうは仰るが、いきなり空へ浮かび上がったところでどうしていいかわからないに決まっている。
「あ、これ、やっ、た、助けてください!」
「落ち着いて! 自分がどうやって飛び、どこへ行くかを強く想像するのよ! そうするだけで良いから!」
 案の定私は墜落した。と思ったのだが、神奈子様が間一髪で私を受け止めてくださった。
 その後試行錯誤し、ようやくコツを掴んだ。速く飛ぶのは怖くて出来ないのだが、飛行するということは出来るようになった。
 こんなにもあっさりと飛べるようになって良いのだろうか。だって人間が空を飛べるはずないのだから。
 そう考えると浮力を失って落ちそうになった。慌てて空を飛べる、空を飛べると思い込むと浮力が戻ってきた。
 なるほど、見えない浮き輪をつけて風を操る秘術で自分を動かしていると思えば自由自在に飛べるようである。
 ここで一つ問題がある様に思う。それは飛んでいる間袴の中が丸見えになっているのでは、ということだ。
 神奈子様はというとドロワーズという、ふわふわ膨らんだ下着を着用されている。
 そっちだと普通のショーツよりかは恥ずかしくないそうだ。私もかぼちゃパンツに切り替えようか。
 飛べるようになったところで山を降りようと促され、神奈子様の後をついて行った。

「早苗、ちょっと降りよう」
「は、はい!」
 神奈子様にならって地面に降り立つ。
 着地するときは焦らずゆっくり降りないと、足に予想外の負担がかかって最悪足が折れたりすることもあるらしい。
「ほら」
「え?」
「あそこに居るのが神様だ」
 神奈子様が示されたところには女性が居た。緑の髪をしていて、大きなリボンをつけている。
 祠の周りを大木が囲んでいる場所で、その傍に彼女が居る。
 ぱっと見ただけでは神様と言われてもわからなかった。
 というのも、神奈子様同様人間と同じ姿だから全くわからない。
 向こうがこちらに気付いた様子。神奈子様は彼女の方へ走り出した。
「やあ!」
「あら」
 神奈子様が大きな声で挨拶しに行かれた。向こうの人、いや神様も応じられた。
「始めまして! 昨日の夜、そこの山の上に引越しさせてもらった者なんだけど」
「ああ、あれあなた方のだったの? すごい音がして、天狗達が騒いでたわよ」
「ああ、うちに来たよ。なんか偉そうな感じの天狗がね」
 少し離れたところから二柱の様子を見ていた。世間話でも始めたような、和気藹々とした空気を醸し出している。
 私も自己紹介すべきだと思っているのだが、邪魔をしない方が良いかなと言い出せないでいた。
「そちらの人間は?」
 向こうの神様が私に気付いてくださった。待ってましたと、一歩前へ。
「ああ、私の巫女だよ。ほら、挨拶」
「あ、あの! は、始めまして、東風谷早苗と言います! 巫女です!」
「ええ、始めまして。私は鍵山雛よ。厄神をやっているの」
 すぐ近くでお顔を拝見させて頂くとなる程、神様というだけある。お顔がとっても綺麗な方。
「や、厄神と言いますと厄の神様ですか?」
「ええ、そうよ。えんがちょのこと。だからそれ以上近づかない方が良いわよ」
 雛様にそう念を押されたのでこれ以上動かないことにした。だが神奈子様は気にも留めずに雛様の傍。
「あなた方はどうして幻想郷へ?」
「信仰が全く得られなくなってしまってね。逃げてきたってところさ」
「なんとまあ! 外の日本はそんなことになっているの!?」
「神を信じている人間なんて、これっぽっちしか居ないわ。とても外の日本ではやっていけそうにないね」
「その話自体がとても信じられないわ。まあ、ここじゃあそんなことはきっとないわ。これからもよろしくね、神奈子、早苗」
「よろしくね、雛。今度宴会でも開こうと思うから、お酒呑みに来てよ」
「あら、もう行くの?」
「他の神様達に挨拶して回ろうと思ってるんでね、忙しいんだ。すまないねぇ」
 どうやらもう行くそうだ。雛様、本当に綺麗。
 そう思っていると雛様がスカートの中から黒いモヤを出された。モヤはどこかへ飛んでいき、雛様が私の傍へ寄られた。
「あ、あの」
「大丈夫、厄は他所へ流したわ。今ならあなたに厄を移してしまうことはない」
 雛様がそう仰ると、私の肩に手を置かれた。その拍子なのか、今始めて他の神様の気配を感じ取ることが出来た。
 暖かいというか、何か安心できるものがそこに居られるという感触。
「早苗ちゃんって可愛いわね」
「え? え!?」
 雛様が私を抱き寄せた。体が密着している。幻想郷ではこれが普通の挨拶なのだろうか。
 少々過激すぎると思う。私の心臓は破裂しそうなぐらい、うるさくなっていた。
「顔、赤くなってる」
「いや、あの、だって、その」
「もうその辺で勘弁してやってくれよ。この子、私以外の神様を見るのは始めてで緊張してるみたいんだし」
「こういう巫女さんだったら、私も欲しいなあ」
「譲る気はないねぇ。本当に良い子だから」
「あ、そうなんです! 私は神奈子様の巫女です! ごめんなさい!」
「あらそう? 残念。まあいいわ、また今度山の上の神社に行けば良いのね?」
「ええ、いつでも遊びに来て頂戴」
 神奈子様の助け船で雛様とお別れ。雛様の急接近で私は疲れるぐらい緊張した。
「大丈夫かい早苗。ちょっと刺激が強かった?」
「ちょっとどころじゃないですよ! 男の子相手でもあそこまで体くっつけたことないのに……」
「私も驚いたよ。でもまあ良かったわね早苗、気に入ってもらえて」
「複雑な気分ですよう」
 どんどん山を降りていく。その最中、また祠を見つけたらしい。神奈子様がこっちと、私を引っ張った。
 祠が二つくっついている。そこだけ土が盛られた、丘のような場所になっていた。
 そこには姉妹で神様をやってらっしゃる方々が居られるらしい。こちらに気付かれた二柱に早速自己紹介。
「あの、山の上の神社から来ました。風祝の巫女、東風谷早苗と言います。どうぞ、よろしくお願いします」
 今度は落ち着いて言えた。さっきは随分と焦った言い方になったが、今回は大丈夫。
「あら、もしかして山の上に神社ごと降りてきた方々?」
「あ、はいそうです。こちらが仕えさせて頂いている、八坂神奈子様です」
「はじめまして、よろしくね」
「こちらこそよろしく。私は秋穣子で、こっちがお姉ちゃんの静葉」
「静葉よ、よろしく」
 穣子様は元気一杯、やんちゃな女の子な感じの神様に思った。それとは逆に静葉様は凄く落ち着いた印象。
 神奈子様は静葉様に興味をお持ちなのか、これまた接近して話し込まれている。
 顔と顔の距離がすごく近い。あれではまるでキスしようとしているみたいだ。
「私達も負けていられないわね!」
「え?」
 穣子様が私を抱き寄せた。さっき雛様がなさったときと同じ感じ。
 慣れなれしいスキンシップに私は混乱させられっぱなしで、どうにかなりそうだった。
 神様に認めていただくとか、褒めて頂けるのは嬉しいのだがもうちょっとこう、ソフトに出来ないのだろうが。
「早苗ちゃんって呼んでも良い?」
「え、あ、はい」
「んー! 早苗ちゃん可愛い! あの巫女もこんな風に素直な良い子だったら良いのになぁ」
「え? 他にも巫女をやっている人が居るのですか?」
「ええ、居るわよ。向こうの方の神社に居るわ、紅白のね」
「早苗、そろそろ行こうか」
「も、もうちょっと待ってください!」
 静葉様にも何か挨拶しないと。たまには私からしても良いだろう。そう思い、静葉様に思い切り飛びついた。
「この幻想郷では、こうやって挨拶すれば良いのですね!」
「わっ!」
 幻想郷の住民としてこちらからも激しいスキンシップをしようと思ったのである。
 ただ、勢いが強かったらしく私は静葉様に接吻をしてしまった。
 静葉様はというと言葉にならない何かを口走り、顔を赤くしておいでだった。
 まさかファーストキスをこんな形で経験するとは思ってもみなかった。

   『神徳ファンタスティカ 3-2』へ続く。


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